2006年01月

2006年01月31日

書道家葛空の詩

上野動物園のゴリラ






「久しぶり」

古い机。
引き出しの中は古い物でいっぱい。
窓からの静かな日差し。
机の上に光と陰のコントラスト。
まぶしくてよく見えない。
昨日使った筆が気持ちよさそうに横たわっている。
遠い過去の中にいるような午後一時。
太陽のにおいが思い出させるのは
古い思い出。
ピントのぼやけた映像。
過去は私を責めない。
私も過去を責めない。
そして、過去の私は過去の私を責めない。
きっと、新たに何も出来ないからなのだろう。
こんなに穏やかになれたのはいつ以来だろう。

現実の世界が全部昔の風景と入れ替わった。

Calligrapher Kakku's poetry

"After a long time"

Old desk.
It fully : with an old thing in drawing out.
Quiet sunlight from window.
The contrast of light and the shadow on the desk.
It is dazzling and doesn't see it well.
The brush used yesterday lies pleasantly seem.
1 PM that exists in deep past.
It is old memories that the smell of the sun recalls.
Image that focus grows dim.
I am not blamed in the past.
I do not blame the past either.
And, I past do not blame me past.
It is surely because anything cannot be newly done.
When it able to become calm so much?

All real worlds changed places into old scenery.


書道家葛空の駄作 厳 きびしい

創作「厳」












なんて可愛い厳しさなんだ。
小さくて弱そうだぞ。
しかし、改めて眺めてみると、
こんな厳しさだったら、
自分にもっと要求できるかも知れない。

SHODO ART WORK
This character means "stern ((look)); grim; stiff ((shoulders))".

What a lovely severity!
It will seem to be small and to be weak.
However, it is likely to be able to demand from me more in case of such a severity when looking at again.

書道家葛空の作品 祝 いわう

創作「祝」












1月31日が誕生日の方、おめでとうございます。
一年一年年を取っていくわけですが、
一年で結構たくさんのことが出来たりしますよね。
やる気が起きないというのは、
やる気が起きないをやっているのだから
堂々とたくさんやって下さい。
安心して下さい。
自分に責められても
それ自体に意義があるのだから大丈夫。
全ては人間の暴走を防ぐための機能。
きつくなくて、人間の歯止めなんて不可能。
人間強力です。

SHODO ART WORK
This character means "congratulation; celebration".

Congratulations on January 31 on the birthday.
Though one one every year of year is taken
Considerably a lot in one year.
The motivation's not occurring
Please give from occurrence and the motivation to me a lot in a dignified manner.
Please relieve.
Even if it is blamed by me
It is safe because there is a meaning in it.
All are functions to prevent man's reckless driving.
It is not tight but is impossible man's brake.
Man is strong.

2006年01月30日

書道家葛空の駄作 小国 しょうこく

創作 「小国」












 老子に「小国寡民」という言葉がある。
意味は、国土が小さく人口も少ない。このような規模の小さい国家では古朴の風にたち帰ることができ国家間の紛争もおこらず、平和共存できる。ということ。
 小さな国がいかに素敵か、と思い、はじめの二文字を取った。
 これも駄作にしようとした作品。右に寄り過ぎ。作品としては、意識して右に寄せているので、左の空間に緊張が生まれ、それなりのバランスがとれている。駄作と呼ぶにはほど遠い。

SHODO ART WORK
This character means "a small country [nation]; a minor power".

Laozi's word .
As for the meaning, the country is small and the population is also few. It is possible to become a pure mind it is simple and in the nation with a small such scale without the affectation. The peaceful coexistence can be done moreover not the disputes among nations absorbing either.
It was thought how a small country was wonderful, and took two characters of the start.
Work that started making this poor work. It comes near to the right too much. As the work, the tension arises in a left space, and a moderate balance is taken because it draws it to the right consciously. It is far to calling the poor work.

Jingorouの鑑賞続きを読む

書道家葛空の駄作 輝 かがやく

創作 「輝」












 書道作品における駄作とは一体どんな物を言うのだろう。
ある価値観からずれてしまっている物も、その一つであろう。
又、思った通りにいかなかった物もそうであろう。
此処では前者を取り、書いてみた。
 つまり、私は、かつての価値観を裏切って、これを書いた。
まず一つには、鑑賞者を無視して、別の方を向いた。
二つには、線を浮かせて不安定にした。
 こうした研究も芸術には意義があると思う。
そして、出来上がった物を改めて観てみる。
なんだか、作品になっている。
今までの価値観は、何だったのだろう。
研究を続け、答を出したい。

SHODO ART WORK
This character means "brilliant; bright".

What kind of thing might be on earth called a poor work in the calligraphy work.
The thing that shifts from a certain sense of values might be the one, too.
Moreover, the thing not going as thought is so.
The former was taken, and written in this conduct oneself.
In a word, I betrayed sense of values before, and wrote this.
It turned to another disregarding those who appreciated for one thing first of all.
In two, the line was floated and it kept unstable.
I think that such a research also has the meaning in the art.
And, a completed thing is seen again.
The work somehow.
What was the current sense of values?
It keeps researching, and I want to get the answer.

2006年01月28日

書道家葛空の詩

犬 漢時代






「良好」

良かった、
もう心配はいらない。
やっとここまで来た。
あとは時間の問題。

放っておけばいい。
何もしなくていい。
勝手に出来上がっていく。
空が認める。
宇宙が認める。

目で合図を送れば、
すぐ答えてくれる。
君は一人じゃない。

Poetry of calligrapher Kakku

"Excellence"

It was good.
Worry is already unnecessary.
It finally came here.
The matter of time.

It only has to leave it.
You may not do anything.
It completes without permission.
The sky admits.
Space admits.

If the signal is sent by eyes, it answers soon.
You are not one person.


書道家葛空の作品 悲 かなしむ

創作「悲」












悲しい時には大いに悲しもうと思う。
はち切れそうになって、自分一人では持ちきれなくなったら、誰かに手伝ってもらえばいい。

SHODO ART WORK
This character means "mercy" and "sorrow".

I think that I feel sorry very much when it is sad.
When it is not possible to endure by seeming to burst him one, someone should help.


書道家葛空の作品 想 おもう

創作 「想」












心に浮かぶいろいろな想い。
水草から生まれて来る一つ一つの泡のように、
浮かんでは消える。

SHODO ART WORK
This character means "an idea" and "a conception".

Occurring various ideas.
It floats and disappears like an individual bubble that is born from the water plant.

2006年01月27日

葛空 書道作品 創作「花」 壁紙

葛空 書道作品 創作「花」CG サムネイル












日本舞踊・藤娘はとても華やかでかわいらしく、創作「花」にはとても似つかわしいので合成し壁紙にします。ご自由にパソコンの背景にして下さい。
偶然、この「花」は藤の枝をもつ姿にとても似ています。

写真提供 東京渋谷 若柳公子日本舞踊教室

この写真は一切改変しないことを条件に
利用・再配布する事を承認します。

Japanese dance "Wisteria madam" is lovely in a very bright impression. It looks like calligraphy work "Flower". Then, the photograph is synthesized and it makes it to the wallpaper. Please make it to the background of the personal computer freely.
This "Flower" looks like the appearance with the branch of the wistaria very much by chance.

This photograph approves the thing that is used and distributed again contingent on without modifying at all and not using commerce. Kakku has the copyright.

by Jingoro


書道家葛空の作品 花 はな

創作「花」










花は、何処に咲いていても綺麗だと思う。
花壇で大事の育てられた物も。
土手に咲いているシロツメクサも。
動物と変わらなく、一生懸命なんだなあと思う。

SHODO ART WORK
This character means "flower".

I think that the flower is beautiful even if it is in blossom where.
The thing that importance is raised in the parterre also.
The white clover in blossom in the bank also.
I think the flower to be all-out as well as the animal.

書道家葛空の作品 妙 みょう

創作「妙」












ふしぎな。という意味で書きました。

SHODO ART WORK
This character means "strange ; excellent "

It drew in the meaning strangely.


書道家葛空の作品 ひとりすむ・・・

創作「ひとりすむ・・・」












「ひとり住む 片山かげの 友なれや 
あらしに晴るる 冬の夜の月」  西行 さいぎょう

自分の今の心境に合っていると思った。
一人でいると、何故か月が恋しくなる。
鏡のように光る月は、遠くから見守ってくれている友のよう。

Tanka of Saigyou.
 
"The beautiful moon that has come out from mountain after winter storm. Please become the friend of me who lives one person lonesomely. "

I thought that I was suitable for my current frame of mind.
The moon becomes dear when there is one person why.
The moon that shines like the mirror is a way of the friend who is watching it from a long distance.


2006年01月26日

書道家葛空の作品 話 はなし

葛空 書道作品 創作 「話」






 この三点は、みんな同じ手法。
 現代人の話し方はこんな感じか。
 それぞれが孤独である。
 包んでいる空気も霧がかかっている。
 三角形にまとめたのは、作品に今までと違った印象が欲しかったから。内容には直接関係がありません。

SHODO ART WORK
This character means "Conversation".

All these of three works are the same techniques.
Do you feel modern people's way to talk ..so..?
Of each is solitary.
The wrapped air is also foggy.
Having brought it together in the triangle : to the work because it wanted an impression different from the current. It is personally unrelated to the content.

書道家葛空の作品 騒 さわぐ 

葛空 書道作品 創作 「騒」






 「犬」と同じ手法で書きました。
 都会の喧噪。
 静かな環境を好む人間にはとても耐えられない。
 なぜなら、その人は想像で自分の世界を作ろうとするから。
 外からの刺激はそれを壊す。

SHODO ART WORK
This character means "Noisiness".

It wrote by the same technique as calligraphy work "Dog".
noisiness in city.
Man who likes quiet environment cannot at all endure.
Because the person tries to make his world from the imagination.
The extraneous stimulus destroys it.

書道家葛空の作品 犬 いぬ

葛空 書道作品 創作 「犬」






 私の場合、まず絵が先にあって、それを文字にデフォルメする作業が向いているような気がします。
 此処では、可愛い柴犬を書きました。そして、バックの色を暗くしてありますが、分かって下さるでしょうか。いつもと変わらない白に、色があるのを。

2006年01月25日

書道家葛空の詩

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「異臭」

妙だが、
自分に肩を叩かれた。
振り返ると、
それは笑顔で立っている。
お互い顔を見合わせて、
挨拶を交わす。

二人でニコニコしながら・・・、
長い長い時間が過ぎてゆく。
私は彼が大嫌いだ。
彼は鮫のような目つきだから
心が見えない、
が、態度だけは親しそうにしている。
体からアンモニアのにおいがする、
違う、
周りの空気から臭って来る、
まずい、
こいつは何かたくらんでいる。

彼が小声でつぶやく。

おまえそんなに自分が嫌いか。
目を背けないで
俺をもっともっと見ろ。
気持ち悪い所がまだいっぱいあるぞ。

近づいて来て、
小声が耳元で言う。

へへへ、
やっと見つけたぞ。
おまえの弱点を。
・・・・・・・・・・・・・・・・。

声が小さ過ぎて言葉なのか
息なのか
区別が付かない。

そういえばこいつ、
物心が付いた頃には
もういたぞ。
俺がこいつに似てきたと言うことか。

2006年01月23日

書道家発掘の第一歩 -書道家葛空の随筆-

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 「書道家の理想」

 本物の書道家というものは、とにかく商売っけがない。 
相手が誰であろうが、絶対に筋を曲げない。権力や財産力が大嫌いである。そして、どんな素人相手でも手は抜かない。それ故、出世が出来ない。いつでもお金に窮している。そんなのは当たり前の事なのである。誰だって本当は知っている。だから、本物を大切にする人は彼に対する援助を惜しまない。彼は感謝してがんばる。お金のある人は、たくさん援助出来る事に誇りを感じるのだ。
 よく考える事に、今、音楽、とりわけクラッシック以外の芸術に何故本物がいないのかと言うこと。もっと言えば、クラッシックに何故本物がいるのか。能力を生かせる場があるのであろう事は分かる。内情は分からないので、外側から探ってみる。まず、次々と若く素晴らしい指揮者が出てくる。此処では国内に限って見てゆく。まるで、砂漠にニョキニョキ大木がそびえているかの如くである。どこから水と栄養を得ているのだろう。おそらく一般人が入って来られないからだろう。一般聴衆は聴く方に限られていて、過剰な競争がないからなのだろう。もちろん競争はあるに違いないだろうが、純粋に芸術のそれに限定されていて、余計なものが入って来られないからに違いない。クラッシックの世界はとても、今、充実している。演奏家は、はっきり言って、ろくなのがいない。きっと、競争が指揮者と違って熾烈なのだろう。
 こう見てくると、書の世界にろくなのがいないのは、人が多過ぎる事、競争が激し過ぎて、本物を見落としていると言うこと、人が多いと、一番上に書いたような本物は居場所が無くなると言う事なのだろう。
 だから減らせばいいと、単純に言ったところで減るものでもない。一つ提案するとしたら、お金のある人が主催して、書の当事者ではない人達による投票で、能力のある人を発掘したらどうだろう、という事。どの範囲から選ぶかは、主催者の独断でいいと思います。なぜなら、そんな事は誰でも分かるから。分からないふりさえしなければいいのです。またいつか書の世界に本物がいるところを見てみたい。私も、そこに参加する資格のある書道家になりたい。

2006年01月22日

大切なものは形骸化し -書道家葛空の随筆-

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雪の
「書の至宝−日本と中国」展



   人は大切なものから先に失ってゆく。失ってはいけないものから先に。
 何故。そう問わざるを得ない。残された者は日々の生活を根こそぎ持って行かれて、同じ場所であるにもかかわらず変わってしまった風景にとまどう。
 大切なものにもっと注目させるためなのか。ゴミは出さないようにしていればいい、出てしまった物はしょうがないので始末するだけ。深く考えなくてもいい。そういう事なのか。
 もう、言葉もない。楽しかった事も短い期間で幕を閉じ、まるで財布にあったお金が必ず無くなっていくように、一つ一つ無くなっていく。必ず無くなるのなら増やそうとする意欲もなくなっていく。増えるだけ悲しい。
 手の中の何が次に消えていくのか。おお、私は今度何に注目するのか。あれなのか、それともあれか。恐ろしい。財布の中身なんて増えなくていい。もう、うんざりだ、止めてくれ。
 そうは言ってみたものの、素晴らしいものには又めぐり会ってゆくのだろう、そして又失ってゆくのだろう。じっくり見つめさせてもらうさ。私から何が出てきても、悲しくないわけなんてあろう筈がないのは、当たり前の事なのだ。楽しくなる事がもしあるとすれば、間違えて裏返ってしまった時だけだろう。そっちの方が多かったりして。

2006年01月21日

創作手法さわり -書道家葛空の随筆-

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 さて、それでは一つ、私の創作の仕方を書いてみようと思います。
 創作と言っても神様ではないので、自分で全部作り上げるというわけではありません。でも、人間の手の入っていない所までさかのぼって行かなければなりません。そうでなければ、何も出来ないからです。何故か。うーん、説明すればする程わかりにくくなるとはこの事。天才でもうまい説明は無理。今はそんな事やめておいて、表面に現れた事だけ書いてみようと思います。
 
 好きな男性や女性の名前を書いてみる。全文字書くと、見え見えでかっこ悪ければ、一字だけ書く。うーん、ちょっとぐらいエロになっても可。絵画のゴヤっぽくていいかも。
 理想の人物の印象を文字にしてみる。何文字でもいい。それに合った漢詩でも和歌でも俳句でも詩の一節でもいい。
 趣味を文字に置き換えて書いてみる。盆栽、将棋、エステ、何でもあり。
 散歩の途中に見た物、感じた事。
 近代絵画の抽象画のような作品、レンブラントやフェルメールのような古典絵画のような作品。
 ペットの可愛い一瞬。
 書くポイントとしては、文字になったそれらが、そこにあるかの如く書くこと。

 今年は戌年なので、次回には犬と書いてみたいと思います。犬はちょっと怖いのですが、柴犬なら見かけが可愛いので、柴犬がつぶらな瞳で立っている姿にしてみようと思います。舌を出して、しっぽをくるりと巻いている姿です。 
 

2006年01月20日

このブログの読み方

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「書道手本」には、楽毅論、千字文、九成宮醴泉銘等の臨書を収録しています。
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書道家の道(修練と古人との対話) -書道家葛空の随筆-

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   書には学校でするような勉強は必要ない。ある基準に達していれば合格などの成績は無意味である。ある期間内に努力すれば必ず手に出来る要素は書の何処を探しても見つからない。わき上がる感動との出会いで発見すものがあるが、いつ訪れるか誰が保証できよう。部分部分で上達するする順位も人によって違う。人の目にとまりやすい部分を先に手にした人が、渋くて目立たない部分を先に手にした人よりも評価されて、後者が劣っていると思いこみ、私は書が不得意だ、なんて言うことになったら、大変である。書にはむしろこの渋い部分が大切だったりするのである。本当に大切なのである。
 書には、順位ではなくコミュニケーションが必要なのである。形だけの偽物なんていらない、一生の間には得られないかも知れない本物を求めなくてはならない。自分の時間で、落ち着いて、焦らず、あきらめず。
 その為には今何をするべきか。日々の鍛錬が教えてくれる。臨書である。絵で言うところのデッサンである。デッサンが単に形の写し取りではなく、感動の写し取りである如く、臨書は、自分のあこがれに達するために用意された手段でなければならない。感動とのコミュニケーションとでも言うべきか。
 他人の優れた臨書を観ると、何でもなく簡単にぽっかりと自分のやりたかった事が出ている事がある。狭く閉じこめられていたものが、急にすらっと展開して、心地よさに体の力が抜けてゆく。これも大事な出会いなのである。自分も又、他人に示さなければならないのは言うまでもない。

2006年01月19日

現代の書道家はどうあるべきか。

kakku
 
   遅くなりましたが、 書と関わっている方々及び全く関心のない方々、  始めまして、葛空と申します。現在の予定ではこの後何十年もブログを書き続けてゆく所存でありますので、宜しくお願い致します。
 葛空とは私の育った葛飾区の空。幼い時から当たり前にあった、特定のイメージの無いものを名前にしようと思って自分でつけました。
 書というものの正体を、歴史を見直す事によって明らかにしていきたいと思っています。その中で、気をつけなくてはいけないと思っているのは、若い頃にすり込まれた、これはいい物だ、という物に対して再確認を怠らない事だと思っています。当たり前だと思っていた事への他人からの批判を恐れないで、門を閉ざさないようにしていこうと思っています。
 皆さんは、書に対してどんな印象をお持ちでしょうか。やはり自分の手で綺麗に書けたら、という感じでしょうか。或いは、手書きの書を見ていると癒されるという感じでしょうか。又、芸術的な書は読みにくくていやだ、という感じでしょうか。
 書や絵画などの美術品は、有名な物しか観に行かないという日本人の今の風潮の中で、大きな会などによる書道・美術展は、それぞれの会に所属している人が自分の会の展覧会を観に行くだけで、他の会は観ない、そんな風になっていると思います。狭い世界の中で、先生の作風及びその会の作風に終始しているように思います。他流の物もよく観て、厳しく自分の物を批判するべきではないでしょうか。そして、他の会の人に批評してもらうことだと思いますが、遠慮してしまって、言ってくれないのでしょうか。それでうまく収まっているのなら、会が存在している価値はないと思いますが、いかがでしょうか。会が存続している価値は、作品の向上の為なのではないのでしょうか。日本人が今大切にしている有名な作品はそう教えてはいないでしょうか。作品を殺してしまうシステムが今後も長く続くのならば、いずれ日本人の中では有名な作品も金銭的価値しかなくなってゆくでしょう。 

2006年01月18日

空 そら

空 そら 




 
 篆刻の手法で作品を書いてみたいと思いました。
 篆刻とは、書で使う印章を作ること。
 印の大きさは3cm 角ぐらいの物が多いのですが、その小さい中に、よく見えるようにうまく文字を収めなければなりません。大きい紙に書くときのように書くと、小さく読みにくくなってしまいます。それを広い空の中にぴったり収めたら、どれだけ大きく見えるのだろうと、結果を予想しないで書いてみました。

帰宅

一人じゃない時も
一人の時も
楽しい時も
そうじゃない時も
昔も
今も
同じメロディーが頭の中で鳴っている。
帰れ帰れと呼んでいる。
懐かしく悲しく呼んでいる。
もうやめろと言っている。
出て行った時そのままで待っている。
とうとう帰ってしまう。
ああ、そうそう、こんなだった。
じっとしてしまう。
なんだかみんな忘れた。
何をやっていたんだか。
すとんと座り込み、
意味もなく
あっちを見ている。


2006年01月17日

わすれもの

わすれもの




 周りの事に合わせて、空気を読んでばかりいたら、さっきまで何か持っていた事に気が付いた。まずい、忘れて来た。

書道作品「わすれもの」壁紙

わすれもの CG

2006年01月16日

表現とは何か。

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 鑑賞者は、ある作品の前に立ち共感する。それは、作者の意図と違った部分に対してかも知れない。作品が伝えているのは何なのか。
 作者とは、何をする人なのだろう。悲しみを伝えているのか、喜びを伝えているのか。意図するところを伝えられないなら、何も出来ないと言うことか。そうじゃないと思う。
 作者は目的にたどり着こうとはしない。手法にこだわる。依るべきただ一つの手法。書では陰陽という。唯一陰陽。これが鑑賞者の共感を呼ぶ。あらゆる感情をかき立てる。
 思えば、そこから派生して、木の枝葉のようにあらゆる物が広がっていった。根本さえ押さえておけば、どの葉にも同じに行き渡たれる。
 
 ちなみに、陰陽とは、物の裏表ではなく、磁石のプラス・マイナスのような作用なのではないかという気がする。


2006年01月15日

私にとっての書

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  深い霧に閉ざされた想像も出来ない遠い所に表現したい何かがある。
 手探りで右も左も分からない中を進んで行く。
 わずかに太陽の輪郭が空の一廓に見える。これを古典と呼ぶ。 
 たったこれだけの手がかりさえ見失うことがある。   
 そうなったら、じっと時の来るのを待つしかない。     
  霧の晴れるのを待つ。
 でも、やっぱりいつまでも晴れる事は無く、わずかに太陽が見え始めたらゆっくり臆病に歩き始める。
 気の遠くなるような時間歩き続けて、やっと目的地らしき場所に辿り着く。しかし、確信があるわけではなく、感覚だけを頼りにそこだと決める。
 確信がないから、しょうがないのでとりあえず墨を紙に置く。
 情報がないから全神経を開放する。
 恐る恐る半信半疑で書き終える。
 書いた物の周りをぐるりと歩き回り、少しずつ離れてゆき、離れた所でまた歩き回る。
 うっすら見える太陽を頼りに、次の目的地を決める。
 まだまだ行かなくてはならない場所が待っている。
 
 

2006年01月14日

書はどんな表現に適しているのか。

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 書は基本的に、白い紙に黒い線で書く。
 私が選んでそうなったわけではない。はじめからそうだったのである。
 いや、歴史の中で、はじめは色々選んだのかも知れない。
 色は中途半端である。ある色を使ったら最後、バランスがとれるまで他の色が必要となってくる。動きで生命感を出そうとする書にとっては邪魔なのである。というよりも動きでどんな色も出せるのである。そういう理由で一番扱いやすいのが黒だったのであろう。
 書の黒は決して強い色とは限らない。黒を見せるためだけに黒を使っているのではない。つまり一番意味のない色だから使っているといえよう。ルノワールの黒は強く感じる、そのつもりで使っているからだ。
 薄い墨を使って色が出てしまっている作品では、線の動きで他の色を補わなければならない。色の感覚と色を出せる技量が必要となるのである。その感覚の優れている人のみに許される表現といえよう。真似だけしても、手本の形だけしか理解できない場合と同じで、何の表現も出来なければ生命感もなくなってしまう。
 絵や音楽にしかできない表現など無いと思う。書もそうである。私は理由があって書を手段にしているのではなく、やりたいこと全てを書で出そうとしているのである。
 馬鹿にもなれる、強くも、弱くも、精神的にも、具体的にも。あこがれから落胆まで何でも書いてみたい。それが本当に出来たら、あと他に何が欲しいだろう。
 書はそれが出来ると強く確信する。そもそも、そういうものだったのだ。伝統にこだわり形だけ伝えていって何の役に立つのだろう。そういうことはコンピュータ等の機械の方がよっぽど正確だ。人間は具体的な形よりも、充実した精神や気持ちの方を手にしたいのではないかと思うのである。
 特に書が得意だと思っている人は、決まった表現を決まった書のイメージにしないで、その書に対する愛情でもって、今までにないイメージを持ち込んでもらいたい。そして、あまり書は得意ではないと思っている人は、書の形に捕まらないように、今の自由を持ち続けてもらいたい。
 つまり書に適した表現など考えない方がいいと言うことになる。

For what expression is calligraphy suitable?

Calligraphy is basically written on white paper in a black line.
I did not come to choose so. It was so from the start.
No, cannot able to have chosen variously and to know the start in the history.
The color is halfway. Other colors are needed until can the balance at the end when a certain color is used. It is obstructive for calligraphy to which it tries to put out the life feeling by movement. Any color can be put out by movement of dependence. It was easy the most much to treat might have been a black on that score.
The black of calligraphy is not necessarily a strong color at all. The black is not used only to show the black. It can be said that it will use it because a color not significant. It is because of use of that it is felt that Renoir's black is strong.
In the work of which the color has gone out with a thin Indian ink, it is necessary to supplement other colors with the movement of the line. The capability that can show the color sense and color is needed. It can be said the expression permitted only by the person with an excellent the sense. Thoroughly to the case to be able to understand only the shape of the model only even if it mimics it it is not possible to express and the life feeling is lost.
I do not think that there are an expression etc. made only the picture and music. Calligraphy is also so. I is the reason and do not make calligraphy a means but try to put out wanting do by the book.
It is possible to become ridiculously, and mentally, and concretely ..strong.. ..weak... I want to write all processes from the yearning to disappointment anything. What do you want in the and others if it can be really done?
It is strongly convinced that calligraphy can do it. To begin with, as such. The tradition might be told only the sticking to type and it be useful ..what... The machine such as computers so is greatly more accurate. Man thinks that he wants to obtain the spirit and feelings enhanced more than concrete shape.
Especially, the person who thinks it is good at calligraphy wants you to have without making a decided expression the image of a decided book in love to the calligraphy, and to bring the image that not is before in. And, the person who doesn't think it is so good at calligraphy wants you for the shape of the book to keep having freedom today so that it is not caught.
It will be said that you should not think about the expression that is appropriate for calligraphy in a word.


2006年01月13日

思い

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何を見ても
新しい気がしない。

以前からそこにあったものは
以前から知っていたような気がする。

人の気持ちに触れて、
その人が全く自分と違う人生を歩いていたとしても、
自分のことの様になってしまう。

他の人を理解することなどいらない。
なぜなら、
それが安定した量を保っていないから。
自分の能力を遙かに超えているから。

人を理解せず、
自分のことにすることに対して
罪悪感はいらない。

だから新しく感じられない。
かといって古くも感じない。



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