随筆・書道論・詩

2010年01月05日

書道作品 創作 「江月 コウゲツ」

書道作品 創作 「江月」

 

 

 


 

 




意味:川に昇る月。

「忘れた月」
むずかしい顔をして
何を考えているのか
ある出来事を忘れてしまった君
あの白くさえた冷たい月
それを見て涙ぐんだ場所
誰も知らない記憶は
何処に行けばいいのだろう


2009年05月27日

詩 「何処」

船

 

 

 

 

 

 



宇宙の始まりのように
私は何処から来たのか知らない

だから今何処にいるのかも分からない
勿論将来何処へ行くのかも知る術がない

・・・「自分を否定することが出来ない」・・・


2009年04月25日

詩:「ただ ただ」

「この指とまれ」展から

 

 

 


 

 

 


 雨の中
絵を観に行く
重い足
軽い足入り混じって
一人で行くと決め
誰かと話がしたかったが
思い出などを道連れに
時に組み込まれ
傘を握り
海・・・
海までは足を延ばさないだろう


2008年10月17日

詩 「早朝」

青い空気

 

 

 


 

 

 


甘い山と山は昨日の記憶

働いたことも忘れ冷たい空気を吸う

水色は吐く息の名

つい今し方いた石の上には

忘れそうになった忘れ物


2008年02月10日

詩 「休息」

CG 「休息」

 



 

 

 

 


休み過ぎると疲れるから・・・
でも休もう・・・
電車か、疲れるな、
今日は何もしないと崩れるから、
何かしよう・・・
解らない、
寝転ぶ、
晴れか、
後で又考える。


2007年12月04日

詩 「紅葉 もみじ」

2007.12 六義園の夜景

 



 

 

 

 


 夜に紅葉が光っているのは
 当たり前なのだろう。

 月に照らされて
 透き通った赤い葉脈は
 想像するだけでも綺麗なのだが。

 ここには何回も訪れているのに知人が出来ないのは
 そうしているから。

 残念なことではない。


2007年11月23日

詩 「いない」

CG「掃」

 



 

 

 

 


皆別々の方向へ帰って行った、
行きたい場所は同じではない、
一人の寒い部屋しか帰る当てのない人は
どうすればいいのだろう、
そちらは暖かいのだろうか・・・

混沌としていたものが明らかになったような気がする、
化けの皮が剥げたのだ。
もう少しでいい、
一緒にいたかった。


2007年07月01日

詩:「滴翠」

書道作品 創作 「滴翠」 CG

 



 

 

 

 

私は見た、
人の夢の跡を、

元の形を留めず
角の取れたコンクリートを、
往来の幻を、

ここにいる一人の人間が
ちょっと想像しただけかも知れない、

だってそうじゃないか、
お互い何の影響も与えられないのだから。

もうじき夏が来る、
木々の緑は
まだ受け入れてくれるだろうか。


2007年04月09日

詩:「違い」

駄作1















私は人が何を求めているのか知らない、
そして人が私をどう思っているのか知らない、

本当に同じなのか、
何処まで違っているのか、

決定的に離れていればいいのに、

うっかり近づいてははじき飛ばされる、

同じではないのなら謎だけで十分だ。


2007年04月07日

詩:「思い出と共に」

2007.04.01 国分寺での花見











(写真はイメージ)


今風ではないが少し前には最新だった街のデザインは
暖かい空気に包まれている、
どこからか川と人情のにおいがして来る、

少し行くと
暗い川面に白いカモメがゆらゆら浮いていた、
この辺一帯はそれぞれの特徴はあっても似通った雰囲気を持っている、
育った場所は目と鼻の先だった、
みんなウェルカム顔であか抜けている、
粋な心で街が光っている、
久しぶりに仲の良いお爺さんに会ったようだった。

昔から売っている江戸玩具、
和服が飾ってある、
金ぴかの扇子、
洋食レストラン、
天麩羅、
ドジョウ鍋、
蕎麦屋さん。


2007年02月11日

詩:「継続」

上野恩賜公園の噴水













機会がないし場がない・・・
言葉がない
言いたいのに言えない
たくさんの時間が費やされた
深く理解しようと努めた。

禁止の中で
今までになく動きたがっている

何も出来ないのだから
黙っておとなしくすることが最善と信じている。

形にならなければそれでいい。


2007年01月03日

詩:個人的発見

人それぞれ闇を抱き、
ある時は光を見付けても
すぐに消えて無くなる。

何度も同じ失敗を繰り返し
懲りているのに又やってしまう。

私は或事実を知っている。
それは見知らぬ街にそよぐ風の様に
諦めの淵から立ち上る希望。

知らない事の喜びとは
イコール今だけが全てではないことの証。

感覚を全開にさせ
本当の姿を手に入れる絶好の機会。


2006年12月17日

詩:「ちょうど今」

詩:「ちょうど今」













落ち葉が
ただそこにある。

風があり
額(ひたい)に当たると上空へ去って行った。

無言の時は永遠のごとく
私から離れない。

誰とも繋がっている気がしない。
精神はこの世から離れ別の所に行ってしまった。

この葉は
おそらくちょうど今落ちたに違いない。






 


2006年09月16日

詩: 「秋色 しゅうしょく」

湯島






この時と親しむ。
半袖の出ている腕が寒い。
いつの間にか・・。

時間の色が濃くなってゆく。
違う方向から風が吹くから
空気の味が変わった。

中身が入れ替わると
やりたいことも変わる。
街や人が入れ替わって
新作の風景が出来上がる。

どんな出来かちょっと見に行きたくなる。
小さな変化が面白い。
変わらない小さなものも面白い。
呼ばれているのかどうか知らない。
でも釣られているのは確かだ。


2006年09月15日

詩: 見えなかったもの

上野






昨日が今日になり
見えなかっものに気が付く。

無駄ではなかった失敗の数々。
それらが今を押し上げている。

最後にうまくいけば
全てに価値が生まれる。

やっと大事にすることが出来る。
やっと失敗を愛することが出来る。

満たされ充実している。
落ち着き安定している。
見捨てなかった自分よ
ありがとう。


2006年08月27日

詩:「言いたい事」

シロナガスクジラ






本当のことは何処で聞けば分かるのか。
何処に行けば本当の世界に出会えるのか。
見分けの付かない嘘があまりにも多い。
いつも道に迷う。
すっきりさせたい。
とんでもない所でとんでもない踊りをさせられていても
気づかず
大恥を掻いているような人生は御免だ。

夢が無いだと、
目的が見付からないだと、
降らない雨を口を空に向けて待つがいい。
そして一刻も早く干からびてしまえ。
嘘つきどもがお前を必要だと言って来る前に。


2006年08月20日

詩:「限界だから」

鎌倉 円覚寺






手が届きそうだから無理をして
つま先立つ。

両親が
先生が
会社が
猿が
子供が

常にそうしていると
休むいとまが無くなる。
ストレスで死ぬ。

楽に手に出来るまで
待てないのか。

理想像の種類が少な過ぎる。
何でも出来るから
地獄まで作ってしまう。

だったら不可能を作り給え、
極楽への階段をそう呼ぶ。
かなり前から
仏様は
待っておられる。


2006年08月13日

詩:気楽

清澄庭園






夏は暑い。
蝉が鳴く。
毎日充実していると
昔のことが小さく固まって隅に追いやられる。
今は引っ張り出すのをやめる。
向こうもそのつもりでおとなしくしている。

久しぶりに遠出の散歩に出掛けようかな。
山手線は落雷で止まるからどうしようかな。
いつも落ちるとは限らないが。

思いっきりつまらないところへ行こう。
23区以外の空気が綺麗なところにしよう。
しかし太陽を浴びてないなあ
夏なんだから恩恵にあずかろう。


2006年08月09日

詩:「戦争」

国立科学博物館の航空機






誰だって戦争を望まない。
なのに継続して人類は殺戮を繰り返す。
人間に生まれたから人間に狙われる。
他の動物には使わない最強の武器で。
男の子は小さい頃から戦闘シーンのある子供向け番組を見て
大人になっても軍事用品に憧れる。
女の子は恋愛と出産に憧れて
それが唯一の幸せと思いこみ
結婚しても理想の男性を捜す。
何かおかしいと思わないか。
全て戦争に繋がっていないか。
兵隊の量産と
その訓練ではないか。
戦争のための男女関係にすぎない哀れな人間。
両者がうまくかみ合わないのはそのため。
昔土地を耕してそれを所有した。
土地は人の手に落ちた。
小さな国の出現である。
ならば他人の土地も所詮人の物だから
奪っても神のたたりには触れないと考えた。
誰かが他人の土地を力ずくで手に入れた時
国と戦争は切っても切れない関係になった。
繁殖力のある野蛮な国は強かった。
理想的な国は弱かった。
国はやがて巨大化して
人の能力の及ばない存在となった。
まるで企業のための社員のように
人は国のための国民になってしまった。
ああ人類の宿命か。
良き小国に
大国の進入を許さない
何らかの方法はないものか。
その出現を望む。


2006年08月01日

詩:「正体」

国立博物館の仏






思わぬ方へ来てしまった。
いや、
「ここ」から「あっち」になっただけかも知れない。
長くいてはいけないから
移動したのだ。

人も変わった。
同じ思い出を持っていても
何かの本で覚えた記憶のように
味気なかった。

道が分かれたのか、
始めから一所ではなかったのか。

後からの思い入れで大きかったと
勝手に思い込んでいたのだろう。
誰だってそんなに大した事をやっているわけではなく
本当は弱々しい空っぽの生き物なのだ。


2006年07月27日

詩「そうする」

旧岩崎邸庭園






ありがとう。
地面にこびりついたチューインガムのような存在に
意識を向けてくれて。
全て出し切ってもそれ以上にはなれないのに
何も与えられないのに
無くなりたくないと思ったのは
皆さんのおかげです。
力を出し切る権利をもらい
押し切る勇気を与えられた。
もう考え直さない
根こそぎ持ち上げ
共有し
分かち合い
感謝し
正直に
もっぱらいさぎよく
止むことなく
前へ
無類の
悲しみと共に。


2006年06月19日

詩 「クジラ」

シロナガスクジラの模型






ますます輝いている。
あの時の事を
今思っている。

まだ人の感情というものを持っていたのか。
信じられない。

始めから持ってないと思っていた事や
捨てて来たつもりになっている事は
どこかに隠れている。
ひょっこり顔を出したのは
こっちに必要があったのか
むこうに必要があったのか。

・・・どうでもいい。
冷たい訳じゃない。
臆病なのだ。
受け入れてしまうと
もしかしたら

豚。


2006年06月15日

詩 「単純」

国立科学博物館の標本






私達が何処へ行くのか知らない。
この世で動き回っている目的も知らない。

今まで味わったことのない経験は
おそらくそこいら中に散らばっているのだろう。
新しい感覚に出会うたびに
それぞれの世界があって
やっとその空間を把握したかと思うと
すぐに幕が閉じて
別の世界に行ってしまう。

だから目的があるようでない。
ただあちこちに移動しているだけ。

人類の英知は
生きる基本を教えてくれる。
あらゆる場合に対応するために
非常に単純な形を示してくれる。
丁寧に教えるから項目が増えて
量が増えてしまったに過ぎない。

どうなるか分からないし
目的も定まらないならば
単純に生きるしかない
あらゆる経験に対応するには
形があると決まっている形にぴったりはまれない。
だから形のない
最も単純な生き方をしていこうと思う。


2006年06月10日

詩 「消える東京」

上野






今日は何処に行こう。

空は晴れて
心も晴れている。

まだ知らないところへ行こうか
それとも前に行った所にしようか。

考えてみれば
長い時が経ってしまったような気がする。

東京はあまり好きになれない。
だから滅多にそこを歩いたりしない。
好きになりたいのに
地元の言葉を否定され、
独特の文化も影を潜めている。
見れば見るほど空虚に打ちのめされる。

そこ此処に昔の面影は残っている。
消えてゆく過程の時間はとても長い。


2006年06月08日

詩 「海を見て」

詩 「海を見て」

2006年05月18日

詩: 優しいわけ

江ノ島






どうしてなんだろう
雑で粗暴な私なのに
周りはみんな優しい

分からない

みんなのことが大好きなのは
ずっと前から同じ
じゃなくて
好きになりたいと思ってきた

いや

好きだから
好きなんだ
それでいいじゃないか

人に好かれたい
どんな自分であろうが
そう思う


2006年05月05日

書論:書を変える。

旧古河庭園の洋館






 書が世間から見放されれば見放されるだけ好きになる。それは私の単なる性格に過ぎないのかも知れない。書の存在理由なんて考える必要はない。人に必要とされなくても、ものの価値はゆるがない。需要と供給は経済の話、あんまりあっちこっちに当てはめないで欲しいと思います。遠い昔に土の中に埋もれた石碑があった。1000年後に偶然見つけられていま古典になっている。人目に触れないからと言って、はたして無価値なのか。価値あるものは、それだけで価値があるのです。
 影も形もないものからのメッセージを感じます。出来ること全てを動員しろ。今までの君でなくなっても構わないから此処で踏ん張ってみろ。後は野となれ山となれ。
 広く人に知ってもらうだけが能じゃない。暗い闇の中で細々と成される価値もある。
 本当は此処で、読んでくださっている方々に書の魅力についてわかりやすく書こうと思っていました。そして出来るなら、書のマニュアルに縛られている方々を解放しようと思っていました。でも、いくら考えても、うまく書けない。
 新しい世界を切り開かなければ身動きがとれない。書の世界は心の中までマニュアルに縛られている。書いてみて分かりました。深刻です。
 さて、どうしよう。一度思いっきりマニュアル通りに書いてみよう。まず、縛っている相手を知ることから始めよう。いい所と悪い所をじっくり見させてもらう。
 今一つだけ気が付いた。マニュアルは選ぶものだと言うこと。盲目的について行くと料理の材料にされる。首を切られて、都合のいいように料理される。

2006年05月04日

書論:人間が作ったもの「古典」

上野動物園のゴリラと人間







 書の基本は自由です。
 自分は何を求めているかと言えば結局いい作品が書きたいのです。
 書きたいと思ったもの、それがいい書なのです。
 思った以上のものが出来たとき、うまくいかなかったとき、両方とも傑作なのです。
 興味のないこと、書きたくないものを決まった通り作った作品は駄作になる。
 下手に書きたいときだってある。 いい古典を観てみれば分かる。
 作者は思った通り書けているのか疑問の所と、これは会心のできに違いないと思うところと両方ある。
 そして、積極的な表現意欲がある。

 次に、好きな古典がもしあったら、直に話をした方がいいと言うこと。
 古典は全く怖くありません。
 人間が、ありのままに、心細くなったり、大海原を眺めていたりしている、現実の姿がそこにある。
 そしていい古典ほど丸腰なのです。唯一人の人間がいるだけなのです。
 臨書の時、どんなに厳しい要求があっても、無理なことは一言も言わない。
 なぜなら、やりたいと思ってる範囲で十分だから、厳しくしたくなければ、そうしなくていい。
 強いて古典の臨書に於いて基本を述べるならば、「やりたいことだけをするべし。」と言うことだと思います。

 臨書は出来なくて当たり前。目に見える線がどんな風に書かれているのかなんて、書いた本人だっておそらく覚えていないだろう。
 まして形がない空間での筆の動きなんて、個人個人でそれぞれに想像するしかない。作者の精神に触れるしかない。そう書いた理由と言うべきものに。
 しかし、自分は何が書きたいのか分からない時がある。古典を観ても何も感じないことがある。

 書きたいことはどうやって見つければいいのか。
 元々自分というのは受信機でしかない。
 発信元は何なのか。やりたいことはどこからやって来るのか。
 いいものには相反する2つがいつも同時にある。広さと狭さ・速さと遅さ・明るさと暗さ。陰陽があるのです。 全てを方向付けている源は此処にあるのです。
 ここから見れば今自分の置かれている場所が分かる。やりたいことが見える。
 まずは自分のイメージを作る前に、陰陽をイメージすればいいと思います。自分が発信元ではないのがよく分かります。
 古典が何故巨大な存在なのか、それは人間を通って作られたものがいかに素晴らしいかを示しています。
 人間が作ったものが、人間を幸せにするなんて、人間、見所があります。

2006年05月02日

詩:充実

2006年05月01日

詩:二つの道

上野公園のペンギン

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