随筆・書道論・詩
2006年04月29日
2006年04月23日
2006年04月17日
「一日」
私は平成18年4月17日である。4時間が過ぎている。
皆さんは私をどうしたいのか。あと20時間の命しかない。
友達になれる時間はないので、知らない内にいなくなっているかも知れない。しかし、朝・昼・晩のいずれかに会える機会はきっとあるはずである。気づいてくれるかどうかである。
人間が暦を作る前から、この日に生まれてくる運命にあった。
どんな風ですか、今日という日は。100年前1000年前生まれた私の兄弟と少しは違いますか。
4時間しか経っていないが、みんな何かを思っているのが分かる。時間を使っていたり、ただそれを埋めていたりしている。悩んだり、喜んだりしている。どこかで争いごとがある。圧力をかけられて苦しんだりしている。私は居る事しか出来ないが、君たち一人一人がよく見える。今日中に動く者と動かない者がある。動かそうとする者、放置する者。私は生きている内になるべく多くの変化が見てみたい。
ある男が居る。今日は寝ないで、ずっと起きているらしい。それなりに1日の予定は立てているようだが、おそらく無理だと思う。どうも生活のリズムがめちゃくちゃだ。ちゃんと食事も摂っていないみたいだし。何か目標を持っているようだが、これじゃあ出来るものも出来ない。こういう男にとって私なんか必要ないのではないかと思う。1日をなんだと思っているのだろう。だらだらと無意味に過ごして、1日が短いという。こいつには1日が倍の時間あっても短いのだろう。私を意識した時初めて1日を有効に使い、目標も達成に向かってゆくと思うのだが。
2006年04月16日
2006年04月15日
2006年04月12日
2006年04月09日
2006年04月08日
2006年04月06日
展覧会
今年は秋頃に30年間書でつ付き合いのある男2人と3人で展覧会をすることになるだろうと思います。もしかしたら、その内の一人の奥さんや彼の知り合いの女性も参加するかも知れません。
展覧会って一体何のためにやるのだろう、と改めて考えてみようと思います。観に来てくださる方のためのものなのか、或いは作品を展示する自分達のためなのか。好きなように片っ端から思いつくままの作品を展示すればいいとも思えないし、又、鑑賞者の好みに合わせてウケをねらうのも違う気がする。三人でバラバラな方向を向くのも寂しいし。どんな出来事がその期間内に起こればいいのか、ということだと思う。展覧会自体に何か訴えるものがなければいけない。こういう理由で開催いたしました、といえるような。理由。私個人の思いを述べるなら、本質的な部分で衰退してしまった書を復興させるためのきっかけにしたい。圧倒的に良質な展覧会にして、観てくださる方々を一瞬のうちに黙らせてしまえるような、少人数の鑑賞者であってもそれで完結できるような、そんな展覧会にしたい。
3人で真剣勝負がやりたい。火花が散るような、物語を感じるような、鑑賞者の目の前で今まさに繰り広げられている事実のようなものにしたい。風流と言うより、もっと躍動的な、現実的なものにしたい。
具体的なことは後のお楽しみと言うことでここでは提案もしないでおきたいと思います。
美意識のぶつかり合い。それは死活問題ではない。人間個人の存在理由に関わる一大事件である。そもそも人間は生きているだけでは誰一人として満足できない。生き方が大問題なのだ。国などの権力に左右されない、それぞれ一人一人が持っている価値観。それは他人を否定することかも知れない。みんなで同じ方向を向く事への反発かも知れない。または逆に人と手を結ぶことの喜びかも知れない。それが満たされたときの喜びは生きることの喜びに繋がってゆく。それがぶつかり合うのである。これが大事件でないはずがあろうか。こういったことが作り事ではなく、真剣勝負となりうる展覧会にしたい。
2006年03月22日
2006年03月18日
2006年03月17日
2006年03月14日
詩 「人」
詩 「人」
本能で生きることも出来ず、
知能は本能に引きずられ、
故に目標が定まらず、
何処にいても安らぐことが無く、
生物の中で最も意味のない生き物。
全てに理由を求め、
何一つ満足を得られない。
何もないから充実を求め、
平和を求め、
安らぎを求め、
光を求める。
Calligrapher Kakku's poetry
"Human race"
It is not possible to live instinctively.
Intelligence is dragged instinctively.
Therefore, the target is not decided.
It is not likely to be relieved wherever it is.
Living thing that doesn't mean the most in
living thing.
To all for the reason
It cannot get no satisfaction.
For enhancement because there is nothing, too
For peace
For the relief
Light is requested.
2006年03月12日
詩 「登場前夜」
それは出番を待っている。
感覚をとぎすませ、
わずかな変化も漏らさず感じている。
すでに計画は練ってある。
途中変更も可能になっている。
行動を起こす時は
犠牲を踏みつぶしてもかまわない。
他の人に泣いてもらえばいい。
勝利の為に立ち上がるのではない。
我慢が出来ないからだ。
それは最後に負けるであろう。
自ら進んで。
それでいい。
収まれば
それでいい。
Calligrapher Kakku's poetry
"Night before it appears"
It waits for the turn.
The sense is sharpened.
A little change is not leaked and felt by me.
The plan has already been developed.
The change is also possible on the way.
When you rush into action
You may step on the sacrifice and crush.
Other people only have to cry.
To win, it doesn't stand up.
It is because it is not possible to endure it.
It will be defeated at the end.
Willingly!
And, it is good.
If it installs
And, it is good.
2006年03月10日
詩 「たわむれ」
詩作品 「たわむれ」
穏やかな水平線の中央に立ち、
透明な氷のように考える。
白く柔らかい道を歩き、
両手を振り
鼻歌を歌う。
小鳥が飛ぶ斜めの線
縦に立つ物
横に並ぶ物
それらを交差させて、
一つの絵にしてみる。
Calligrapher Kakku's poetry "Play"
Stands at the center of a calm horizon.
Thinks like transparent ice.
Walks on a white, soft road.
Both hands are sung and the shake
humming is sung.
Diagonal line where small bird flies
Thing to stand in length
Thing that queues up sideways
They are intersected,
and it makes it to one picture.
2006年03月08日
詩 「うつりゆくもの」
詩 「うつりゆくもの」
若い時は
いろいろな世界が待っていた。
そして一つ一つ飽きて
一つ一つ消えていった。
水面に反射する輝きのように
変化する心。
一瞬の変化は
次々に過去を飲み込んでしまう。
Calligrapher Kakku's poetry
"One to change and to go"
When it is young
Various the worlds waited.
And, it gets tired one by one.
It disappeared one by one.
To the way of the shine that reflects
to the surface of the water
Changing mind.
The change in the moment
The past is swallowed one after another.
2006年03月05日
詩 「出掛けられなかった日」
詩「出掛けられなかった日」
さわやかな一日、
外に行こうと思っていたが
いけなかった。
もし行っていたらどんなだったろうと思う。
想像では過去の思い出しか出てこなくて
今日の光や風と違っていた。
どうせ大した違いはないと思う一方で
何かあったかも知れないと思う。
さようなら
今日という日。
Calligrapher Kakku's poetry
"Day to which it did not go out"
Fresh day
Though it was thought that it went to the outside
did not have
I think that it might be absorbed if going what.
Only past memories are in the imagination.
It was different from today's light and wind.
The idea as anyway not very different.
I think something might.
Good-bye.
Day of today.
詩「事件」
始めから壊れていた。
いくらいじっても修理は出来なかった。
カレンダーの日付は
H.18.3.・・・
どうでもいい。
悪夢で見た。
何故あんな事になった。
そうしなくてはいけないと思い、
後は逃げてばかりいた。
途中に何があったのか覚えていない。
最後に薄目を開けていた。
そこから見えたのは、
何かあった後の残骸。
終わった後の静けさ。
始まる気配。
Calligrapher Kakku's poetry
"Incident"
It was broken from the start.
It was not possible to repair no matter
how it fiddled.
The date of the calendar
March, 2006.
No matter.
I saw in the nightmare.
Why became such a thing.
I think to do so.
And, I always ran away.
I do not remember what there was by you
on the way.
Opened my eyes slightly at the end.
Having seen it there
Remains after it is of something.
Silence after it ends.
Starting sign.
2006年03月04日
随筆「いさぎよさ。」
随筆「いさぎよさ。」
何故、不幸になる、などというのか。何故つらいなどと言うのか。誰に守ってもらえるというのか。
誰とも比べるもののない一人じゃないか。
自分の才能を信じている人のなんと弱いことか。
一番頭の悪い人は、知識におぼれている。一番頭のいい人は、何も持たない。何も持たないから、必要な物が必要な分だけ後からついてくる。始めからたくさん持っていたら作業の邪魔に決まっている。
何も持たない人は何でも出来る。彼は何も持っていないけれど、幸せを手に出来る。欲望の全ての上にあぐらがかける。
彼は自分の肉体も所有していないから、いつでも健康で年を取らない。むさぼらないから食べ物がおいしい。
最も容易な事になぜ人は感心がないのだろう。これが一番大切だというのに。
今、やっと分かった。醜い者と美しい者の違いが。
一つでも持つ者のなんと醜いことか。
いさぎよく何も持たなければいいのだ。無ではない。全てが入ってくるようにしておけばいいのだ。手に取らず自由に出入りさせるのだ。あるべきものが、あるべき場所に落ち着いていればいい。何も自分が決めることではない。自然に目の前に現れる美しいものは、誰のものでもない。もちろん自分のものなどではない。
そもそも所有しないところにあった美しさを、自分のものにして汚してみたところで自分が美しくなれる訳ではないのだ。醜いままなのである。
簡単で、幸せになれる事を人はたやすく所有に流れ、捨ててしまう。美しさに到達する坂道の途中にいるのか。きっと頑張っているのだろう。なぜなら、美しさが分かっているから。幸せになりたいと思っているから。どこから出発しても、きっとその人にふさわしい頂点は用意されていると思う。
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詩「向き合う」
詩「向き合う」
こっちを見ている。
鋭く刺す視線。
受け止めて
真実を探る。
がむしゃらに突っ込んできたら、
相手にしない。
こっちの出方を見ている時にのみ
誠実に対応する。
Calligrapher Kakku's poetry
"It is opposite. "
Here is seen.
Glance sharply pierced.
It catches it.
And searches for the truth.
When you recklessly thrust it
It doesn't take notice.
Only when you see an attitude here
It corresponds in sincerity.
2006年03月03日
詩「月」
詩「月」
透明な空気と月
真っ黒な漆塗りの空に月
雲が照らされて
並木も照らされる。
冷たい歩道に
僕の陰
他人顔の信号機
別世界のタクシーが追い越してゆく。
つまらない嘘を
思い出に投げかけて
何処にも属さない道を
一人歩く。
Calligrapher Kakku's poetry
"Moon"
Transparent air and the moon
The moon in the sky of jet-black
lacquer paint.
The cloud is shone on and roadside
trees are shone on.
My shadow in a cold pavement.
Signal of others face
The taxi of the another world outstrips it.
I throw a trivial lie on memories.
I walk on one person road in which it
doesn't belong to anyone.
2006年02月26日
2006年02月25日
2006年02月24日
2006年02月20日
書道論「現代の人々の書との関わり方」
書道論「現代の人々の書との関わり方」
展覧会の中などの限られた中で、外からの目にさらされることなく、出世上手だけが幅をきかせている今の書は遅かれ早かれ死んでゆく。街で見かけるロゴなどの書は、書ではないので論ずるに足らない。
書だって他のものと同じで、指導者が悪ければ、いくら世の中に広がっていっても意味がない。それどころか悪影響を与えてしまう。
今の人はどうなのだろう、書も一つのつまらないデザインだと思っているのか。そんなことになってしまったのか。もちろんある意味でデザインだとは思う。全てが商業と関わってしまったから利益ばかりを優先してしまったのか。あらゆる制約の中で表現して行かなければならないのはしょうがないと思う。だがどこかで補(おぎな)わなければならない。商業以外はほったらかし、という訳にはいかない。今の人は欲が無さ過ぎる。全てを同時に欲しなければ、ある一点を手に入れてもつまらなかろうと思うが、どうか。次々と手に入れても意味がない。欲しい物がなくなる訳ではない。全てを同時に手に出来ないのは当然ではある、では何故か。力が無いからである。誰だってそんな力なんて持ち合わせていない。その満たされない気持ちが表現の源になるのである。 常に補いながら全体を得るのである。手に入らなければ作るのである。自分にとって同じ意味のあるものを作るのである。人はイメージで欲する。実物よりもむしろこれを満たそうとしている。ならば、自分で作ることは可能なのである。
あらゆる人がこのことを実行してゆけば、自然と欲するもの全てが必要になり、一方しか見えない目は無くなってゆくのではないかと思うのです。欲(ほっ)しないものもはっきり見えてくる。そういう目にさらされた時、書は他のものと同時に素晴らしい生命力を取り戻すと思いますが、どうでしょうか。
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2006年02月18日
書道家葛空の詩
「みつけた」
よそ行きの服を着て
そのおじさんは出掛けて行った。
まあるい空気に包まれて。
何処へ行くのかなんて知らない。
その晴れやかな笑顔だけで十分です。
曲がり角で猫が一匹あくびをしている。
部屋の掃除でもするかな。
あ、そうそう、
さっきみつけた。
ポストに見慣れた封筒があるのを。
Calligrapher Kakku's poetry
"Found it. "
The Mister went out putting on one's
Sunday clothes.
Wrapped in gentle air.
It doesn't know where to go.
It is enough only in the cheerful smile.
One cat yawns in the corner.
Is the room cleaned?
It found it seeming ..encounter.. , so a little while ago.
The envelope that gets used to seeing the post.
書道家葛空の詩
「美の極致」
ありのままに、
思った事そのままに、
何の恐れもなく、
叩きつける。
あとさきを考えず、
どんなにけなされようとも、
たった一人になっても、
最後まで成し遂げる。
これが美。
逃げる者は醜悪になり、
その質は地に落ち、
一切の価値を失う。
Calligrapher Kakku's poetry
"Perfection of beauty"
To the truth
There is not fear, and either it throws it at a
thing ..desire.. as it is.
It accomplishes it to the last minute even if
becoming only one person or spoken ill.
This is beauty.
The person who runs away becomes ugly,
and the quality falls on ground, and loses all value.
2006年02月17日
書道家葛空の随筆
「心の目」
どう書けば素晴らしい作品が出来るのかずっと考えてきた。数知れない失敗を繰り返し、数知れない落胆を味わってきた。どうしてそこから立ち直ってきたかというと、違うやり方が必ずあるはずに違いないと思ったからである。
失敗すると、目の前に広大な世界が広がってゆく。幾筋もの道が見える。成功していると思っている時には一本の道しか見えていなかったのに。だから次に行くべき道を選ぶ事が出来た。
その道はどれを選んでも間違いという事はなく、後戻りする必要はなかった。ただ、そのまま行ってもだめだなと思う時にはそのたび挫折した。そうすると、あしもとから幾筋かの道がまた伸びていた。
そうして思った事は、道を選ぶごとに質が変わってきたと言う事。道が平らになってきたのだ。道ではなくて、広がりになった。空間も広がった。小さな物から大きな物まで自由に扱えるようになった。
一つだけの道を歩いて行ってはいけない。それが道である以上必ず失敗が待ち受けている。そして失敗に至るまで行き着かなければ次の展開はない。心の目を見開いて、そこから見える全てをありのままに見る事は、見て見ぬふりをする事よりもやりたいことがたくさん見えてくる。
Calligrapher Kakku's essay
"Eyes of mind"
It has thought whether to make a wonderful work
for a long time.
Several has tasted the disappointment that cannot
be known repeating the failure that cannot be known
as for several.
It is because of why it has recovered , there must
be sure to be a different way.
The vast world extends to the presence if failing.
The road, that is, some streaks is seen.
When thinking the success, only one road were seen.
Therefore, the road to which it had to go as follows
was able to be chosen.
The thing of making a mistake even if any was chosen
was not, and did not have to go back on the road.
However, it failed at that time when thinking it was
useless even if going as it is.
Then, some streak Kano road has expanded from
reeding original again.
The thing of which it thinks and is a thing said that the
quality had changed whenever the road was chosen.
The road has flattened.
It became not the road but an extension.
The space has extended, too.
It came to be able ..liberty.. to treat from a small thing
to a big thing.
Do not walk on only one road.
The failure waits without fail because it is a road.
Moreover, the following deployment doesn't exist
if not arriving until failing.
Eyes of the mind are opened wide a lot, it comes into
view everything seen there in the truth, and wanting
to do comes into view from turning a blined eye to to
the seen thing.