書道手本 行書(臨書作品)

2009年12月16日

一般 書道 手本0625 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「又有清流」

一般書道手本ー0625

 

 









 

 

 

 

 



「清」の変化を見ると
人間の発想ではとても思い付かない形態を示す。
想像するに千変万化する自然を手本にしているのだろう。
そしてそれは日本の物ではない。


一般 書道 手本0624 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「茂林脩竹」

一般書道手本ー0624

 

 

 







 

 

 

 

 



まるで始めからこうあったようにそこにある。
芸術の醍醐味は変化と統一である。


一般 書道 手本0623 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「崇山峻嶺」

一般書道手本ー0623

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



この書はよく形態を崩し、
よく一つの世界を作り上げている。


2009年11月10日

一般 書道 手本0622 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「集此地有」

一般書道手本ー0622

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



強い美しさもあれば弱い美しさもある。
もしそこに力を感じるなら
それは存在の確かさから来るのだと思います。


一般 書道 手本0621 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「至少長咸」

一般書道手本ー0621

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



柔らかさを強調しました。
王羲之は政権抗争が日常の貴族社会に於いて
不自然な無理をせず
時代や立場を誠実に生きた人なんだと思いました。


2009年10月25日

臨・争坐位文稿 「りん・そうざいぶんこう」

臨・争坐位文稿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔真卿(がんしんけい)56歳時(西暦764年)の書を臨書しました。
これを紐でしばり天井から吊るし、
「芸術の死」を表現した作品を近い内に発表したいと思っています。
しかし作品の中には「再生」の意を込めました。


2009年05月10日

一般 書道 手本0620 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「也羣賢畢」

一般書道手本ー0620

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



少しは動きや墨の溜めが自然になっただろうか。
自分の思う通りの方が
むしろ原帖に近付くように感じるのだが、どうか。
平成の空気の中で息をすれば東晋の昔に行ける。
なんて素敵な事だろう。


2009年04月18日

一般 書道 手本0619 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「亭脩禊事」

一般書道手本ー0619

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



自分がどんな行動を取るべきかなんて
何処を捜しても答えはないに決まっている。
相手や対象があって始めてやりたいことが生まれる。
その実現の為に知識が必要になる。
知識の恩恵というのは
どうしても欲しい人が
百里の道をいとわず得ようとするべきものであって、
不純な欲で嫌々頭に詰め込むのは百害あって一利ない。
一人の才能は一人では存在しない。
蘭亭叙は後に続く人々の詩を意識して書かれた。


2009年04月16日

一般 書道 手本0618 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「山陰之蘭」

一般書道手本ー0618

 

 

 



 

 

 

 

 

 



同じ内容を表現しても
時と場合によってやり方はそれぞれ違います。
当たり前のようですが、
そうしなければ
その場においての自然な姿は生まれて来ません。
私は同じ部分の臨書をして
一度たりとも同じ筆遣いをしたことがありません。


2009年03月29日

一般 書道 手本0617 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「會于會稽」

一般書道手本ー0617

 

 

 

 

 



 

 

 

 





臨書でも創作でも
イメージを叩き付けるだけでは
それ自体現実の物ではないので何も表現出来ません。
又、作品のできばえを模索しても
ただの形なので表現ではありません。
作品で何かを表現する事とは、
現実の中で行う行為なのです。
つまり、「作品として」イメージを表現する事なのです。


2009年03月28日

一般 書道 手本0616 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「暮春之初」

一般書道手本ー0616

 

 

 

 

 



 

 









具体的な物が心を動かすのです。
制作者は作品を作るのであって、 
いくら思い込みやイメージがあっても
それだけでは形がないので人に伝えられません。


2009年03月22日

一般 書道 手本0615 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「歳在癸丑」

一般書道手本ー0615

 

 

 

 

 



 

 

 

 





目の前を流れる川、
眺めれば山の風景、
そして心の動き。
この書はドキュメントを叙情的に映した映画のようです。


一般 書道 手本0614 臨書 王羲之 蘭亭叙 おうぎし らんていのじょ 「永和九年」

一般書道手本ー0614

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



これから暫く蘭亭叙の臨書を続けて行こうと思います。
前に書いた物と重複しますが宜しくお願い致します。


2009年03月12日

一般 書道 手本1615 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「消息羲之報」

一般書道手本ー1615

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



もし満足できる臨書がしたいなら、
自分が希望する結果をしっかり頭に描くと良い。
あとは成るがまま。


2009年03月11日

一般 書道 手本1614 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「故旨遣取」

一般書道手本ー1614

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



宇宙の主役は自分ではない。
ましてその夢や希望などではない。
自然の摂理こそが全ての動機である。


2008年10月17日

一般 書道 手本1613 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「須臾忘心」

一般書道手本ー1613

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



どんな手でも、
どんな美意識でも、
本物は付いて来る。
理想を追うのではなく、
理想が出来るのである。


2008年10月09日

一般 書道 手本1612 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「憂懸不能」

一般書道手本ー1612

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



孔侍中帖の最後の一通。
私はいまだに王羲之が理解出来ない。
でも、それでいいのではないか、と考える。
まるで言葉が通じない自然の景色のように、
そこにある。
何を表現しているのか、
素晴らしいのに共感出来ないのはなぜか、
そんなこと分からなくてもいい。
時代も好みも違うのだから。


2008年08月11日

一般 書道 手本1611 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「軍疾後問」

一般書道手本ー1611

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



いつもの事ながら
この先どうなって行くのか見当も付かない。
こんな書家が他にもしいたら
とても面白いのだが
自分に対して無責任になるのは恐い。
恐いが誠実になろうとすると
結果無責任になってしまうのでどうしようもない。


一般 書道 手本1610 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「至不知領」

一般書道手本ー1610

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



近頃私はちっとも発展しない。
同じやり方を続けたくないと思うので、
なかなか更新できないでいる。

しかし別の言い方をすれば安定と言うことも出来るのか。
何だか一つの段階が終わった様な気はする。


2008年06月18日

一般 書道 手本1609 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「信書想必」

一般書道手本ー1609

 

 

 

 

 



 

 

 







臨書に於いて、
法帖の点画や全体の印象は表現のきっかけです。
だからこそ大切なのですが、
それによって引きずられるべきではありません。


一般 書道 手本1608 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「因孔侍中」

一般書道手本ー1608

 

 

 

 

 



 

 

 

 





記憶や知識に邪魔させない方法を見付けました。
「余計な事を考えず集中する」です。
そうすれば筆は躍動を始めます。
元々自由に出来上がっているものを
固定概念で捉えるのは間違いです。


2008年05月30日

一般 書道 手本1607 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「羲之報旦」

一般書道手本ー1607

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



王羲之のように
生まれながらの貴族が
はたして王朝文化に憧れを持つだろうか。
物心が付いた頃から
常に身の回りで政権抗争が繰り広げられ
貴族社会にうんざりしていた筈だ。
それと王羲之の視線は庶民に向いていた。
だから、彼の書を「素朴」と理解しても
差しつかえはないと思う。


2008年05月21日

一般 書道 手本1606 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「九月十七日」

一般書道手本ー1606

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



孔侍中帖の二通目。
私は表に出ないでも構わない・・・
それで満足出来る様な幸せが欲しい。


一般 書道 手本1605 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「省慰増感」

一般書道手本ー1605

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



書で出来る事・・・
表現とは人の為なのか、自分の為なのか。
私の様に書の本質を見極めようとする行為は
誰の為にしているのか。
答え・・・
誰もが幸せになる為。


2008年05月13日

一般 書道 手本1604 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「不能自勝」

一般書道手本ー1604

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



可能と不可能のうねりの中で
本物は我慢強く
君の到着を待っている。


一般 書道 手本1603 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「悲摧切割」

一般書道手本ー1603

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

人の感覚とはどのくらい信用出来るのだろう。
最も不確かな中に自分の評価がある。
今ある状態がそのまま別のものに変わる。
ダメではなかった、
浮かれていた等である。


2008年05月10日

一般 書道 手本1602 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 「頻有哀禍」

一般書道手本ー1602

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



何かが足りない。
恐らく今迄想像すらしていなかった
何かが必要なのだ。


一般 書道 手本1601 臨書 王羲之 孔侍中帖 おうぎし こうじちゅうじょう 原帖

一般書道手本ー1601

 

 

 


 

 

 


近頃つまらない物がすらすら出来てしまう。
まるで滑り落ちて行くようだ。
苦しくても良いから手がかりを見付けねばならない。


2008年05月01日

一般 書道 手本1516 臨書 王羲之 喪乱帖 おうぎし そうらんじょう 「羲之頓首頓首」

一般書道手本ー1516

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



不本意の内に喪乱帖が終わってしまった。
もうしばらく王羲之の手紙を続けようと思うのだが、
芸術的に純粋なので深くに踏み込まねばならない。
雰囲気や感情ではどうにも出来ない。
まるでモーツァルトである。


2008年04月25日

一般 書道 手本1515 臨書 王羲之 喪乱帖 おうぎし そうらんじょう 「不知何言」

一般書道手本ー1515

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 



個人に属するものは悲しく美しい。
それが健全であり
それが人生の主役なのだ。



最新コメント
QRコード
QRコード