書道手本 楷書(臨書作品)

2008年03月26日

一般 書道 手本1450 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「以烏翅羽」

一般書道手本ー1450

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



最後にフィニッシュを飾りたかったのですが・・・
実力というのはこういうものです。
だから書に於いて嘘は通じないのです。


一般 書道 手本1449 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「若患頭痛」

一般書道手本ー1449

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



長い間この三十帖策子にお付き合い頂きまして
有り難う御座いました。
もっと人肌の温もりがある物にしたかったのですが、
まだまだ形に終始しているようです。
本道を歩いていれば曲がったり歪んだりしても
そんな事はどうでも良いくらいの存在が生まれる筈です。
しかし、形から本道を理解するのであるから
何故そうなったのかを理解する為に
どうしても形は必要です。
理由を理解しない形が無意味と言うことです。


2008年02月24日

一般 書道 手本1448 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「即有男女」

一般書道手本ー1448

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



そうでなければ此の「女」という字は書けなかった。


一般 書道 手本1447 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「於七日中」

一般書道手本ー1447

 

 

 

 


 

 

 

 

 





今回私は橘逸勢になった。
自分の感覚で創作している様に臨書した。
法帖に合わせるのではなく
自分に法帖を合わせたということである。


2008年02月07日

一般 書道 手本1446 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「空腹尽服」

一般書道手本ー1446

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



故に個人個人で感じ方まで違う臨書は
千差万別であるべきである。
摸写や複製などでは決してないが、
それらだって良い物は他と同じではない。


一般 書道 手本1445 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「常以清旦」

一般書道手本ー1445

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



臨書といっても様々なやり方がある。
素直に受け取ったままを臨書したり、
特徴を増幅させたり。
しかし私の経験では、
素直に書いた方が自分の持っているものと良く反応し、
線の振幅が大きくなる。


2008年02月01日

一般 書道 手本1444 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「一百八遍」

一般書道手本ー1444

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



だから面倒臭い展覧会などに出品しないのだ。
どんな評価であろうと有り難く承るが、
つまらない審査員の出世の手助けはまっぴら御免である。
もっとも
大金が転がり込んだり、
有名になって皆にちやほやしてもらい
楽しい方に忙しくなれるのなら話は別だが・・・。
芥川龍之介の小説に出てくる杜子春が「おっかさん」
と言うまでの人生を歩もうとしている人間の
何と愚かなことか。


一般 書道 手本1443 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「相和呪之」

一般書道手本ー1443

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



私が書を書くのは、
人に見て貰うためだけではない。
自分を豊かにしてくれた「美」とは何か、
何が美しくしているのか、
「美」を目の当たりにした私はどうするべきなのか、
これらに答が欲しいからである。
正解も不正解もないのかもしれないが
気が済まないからそうするのである。


2008年01月29日

一般 書道 手本1442 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「去核取皮」

一般書道手本ー1442

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



その時に出来る事をすればいい。
何処にいたって全ては見渡せるのだから。


一般 書道 手本1441 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「梨勒三顆」

一般書道手本ー1441

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



下手な書き手がこれだけ崩して
これだけまとめられるだろうか。
尚かつその人となりが見える。


2008年01月05日

一般 書道 手本1440 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「一両大呵」

一般書道手本ー1440

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

今回、私は見えている形にこだわらず
原帖の持っているボリューム感を臨書した。
少々歪んでも別の物でない限り可能であろう。


一般 書道 手本1439 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「まつ以石蜜」

一般書道手本ー1439

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

臨書というものは、一朝一夕に変化しない。
だが、一つのレベルに達した所から
書家の実力を低下させない底力がある。
そして、もし情熱を失わないならば、
(ほんの)少しずつ知らない間に引き上げてくれる。


2007年12月11日

一般 書道 手本1438 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「煎之檮為」

一般書道手本ー1438

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



美しい「書」を書いて、
仮に展覧会の審査で落選しても
私は一向に落胆しない。
むしろ展覧会の内容自体を選ぶ事の方が重要である。


2007年12月10日

一般 書道 手本1437 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「二十一遍」

一般書道手本ー1437

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



物にガツガツ欲をかいていると、
概念と言うか一体何がしたかったのかを忘れてしまう。
それは決して具体的な事ではなかった筈である。


2007年12月07日

一般 書道 手本1436 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「蘓中呪之」

一般書道手本ー1436

 

 

 

 


 

 

 


 

 




書の線というのは、
筆を置いた時の形が次の動きで別の形になる。
慣れている人は知っていて使いこなすのだろうが、
それは邪道である。
曖昧な、どうなるか分からないところに書の真の姿がある。


一般 書道 手本1435 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「一両内於」

一般書道手本ー1435

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



線を一度で決めず、
何度も力を補いながらの運筆なので、
まるで子供が書いているようである。
ただ、子供に無い「我」がある。
それは自分だけ都合良くなろうとして、
他人を陥れようとする物である。
「エゴ」とも言う。
大人は常にそれとの戦いの中にいるのだが、
この書は見事に打ち勝っている。


2007年11月27日

一般 書道 手本1434 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「五両孔雀」

一般書道手本ー1434

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



これだけ自由に書を書く事が出来たのだから
私はもう何の悔いも無い。
100回死んでも、地獄に堕ちても構わない。
いや、出来ればこのまま極楽に居続けたい。


一般 書道 手本1433 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「年已上蘓」

一般書道手本ー1433

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



「こう書きたい」と「こう書かない」を一緒に考える。
それはお互いを強調しあい、
二つあって初めて存在出来ると言うこと。
愛を実感するためには
それが無い状態を想像出来なくてはならない。


2007年11月25日

一般 書道 手本1432 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「中當以十」

一般書道手本ー1432

 

 

 




 

 

 

 

 

 



この世はまるでマラソンの残り10キロの様だ。
ゴールは出来ると思うのだが、
地獄の苦しみである。

しかし本当の地獄にゴールは無い。


一般 書道 手本1431 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「或為藥所」

一般書道手本ー1431

 

 

 

 


 

 

 

 

 





私は作品を書く人間になることにした。
つまり、話したり別の事をしている私は存在しない。


2007年11月24日

一般 書道 手本1430 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「種種痛等」

一般書道手本ー1430

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



この法帖は、
これだけ自由に書いていて統一感があるのは何故だろう。
ある程度のパターンがある。
しかし何よりも、
美に対する思い入れがある。
それがその人の肉体を使って時代の中で形になっている。
書に美を求める伝統はどこから来ているのかは、
よく分からないが、東アジアの人だけが
美の舞台に乗せたと言う事なのだろう。


一般 書道 手本1429 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「鬼魅所着」

一般書道手本ー1429

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



臨書をしていていつも思うのだが、
先生に就かず、
自分で臨書をしている人の
同じ法帖の同じ部分を観てみたい。


2007年11月19日

一般 書道 手本1428 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「子有病或」

一般書道手本ー1428

 

 

 




 

 

 

 

 





本当の一歩は、
無駄な百万歩よりも価値がある。
自分の力を信用している人は、
エンドレスな無駄を続ける。


一般 書道 手本1427 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「有病或男」

一般書道手本ー1427

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



自分の力を過信し、
手柄を実力だと思い、
失敗を他人のせいにする。

本当は何もしていない。
いや、やればやるほど悪くなる。

人間のやる事はそんなもの。
他力本願結構。
書では他力のことを「陰陽」と言う。


2007年11月16日

一般 書道 手本1426 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「女者或自」

一般書道手本ー1426

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



この法帖の中で「女」という字は憧れで、
そして中々書けない字である。
今回も少々軽くなってしまった。


一般 書道 手本1425 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「年不生男」

一般書道手本ー1425

 

 

 

 


 

 

 

 

 





しかし、何故楷書の始筆や終筆が
こういう形になったのかが良く分かる。
要するに動きから来ているのだ。
それは単に押さえるといった事だけではなく、
書き手の個性や表現も含んでいる。


一般 書道 手本1424 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「二十三十」

一般書道手本ー1424

 

 

 




 

 

 

 

 

 



何故か、線が一回り太くなり、
筆の開閉が大胆になった。
もう、どうなるか分からない。


2007年11月13日

一般 書道 手本1423 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「十年乃至」

一般書道手本ー1423

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



書を構成する物と
人と
自然と
文明は同じ物で出来ている。
いや、同じでなければならない。
接点が無くて、どうして違いが生まれるだろうか。

私は書家なので
これ以上詳しくは書かない、
作品から無言の言葉を聞いて欲しい。


一般 書道 手本1422 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「婦人五年」

一般書道手本ー1422

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



この書の怪しげな力に
吸い込まれてしまうのは私だけではあるまい、
一緒について行ってしまおうではないか、
さあ。


一般 書道 手本1421 臨書 伝・橘逸勢 三十帖策子 でん・たちばなのはやなり さんじゅうじょうさっし 「鏃即出若」

一般書道手本ー1421

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 



そして、最後に自分が立っている。
この画面の中から
真顔でこっちを見ている。



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