2006年05月05日
書論:書を変える。
書が世間から見放されれば見放されるだけ好きになる。それは私の単なる性格に過ぎないのかも知れない。書の存在理由なんて考える必要はない。人に必要とされなくても、ものの価値はゆるがない。需要と供給は経済の話、あんまりあっちこっちに当てはめないで欲しいと思います。遠い昔に土の中に埋もれた石碑があった。1000年後に偶然見つけられていま古典になっている。人目に触れないからと言って、はたして無価値なのか。価値あるものは、それだけで価値があるのです。
影も形もないものからのメッセージを感じます。出来ること全てを動員しろ。今までの君でなくなっても構わないから此処で踏ん張ってみろ。後は野となれ山となれ。
広く人に知ってもらうだけが能じゃない。暗い闇の中で細々と成される価値もある。
本当は此処で、読んでくださっている方々に書の魅力についてわかりやすく書こうと思っていました。そして出来るなら、書のマニュアルに縛られている方々を解放しようと思っていました。でも、いくら考えても、うまく書けない。
新しい世界を切り開かなければ身動きがとれない。書の世界は心の中までマニュアルに縛られている。書いてみて分かりました。深刻です。
さて、どうしよう。一度思いっきりマニュアル通りに書いてみよう。まず、縛っている相手を知ることから始めよう。いい所と悪い所をじっくり見させてもらう。
今一つだけ気が付いた。マニュアルは選ぶものだと言うこと。盲目的について行くと料理の材料にされる。首を切られて、都合のいいように料理される。
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この記事へのコメント
1. Posted by あき 2006年08月10日 17:42
はじめまして。
村上亜希と申します。
今、書道を習おうかと考えていました。
なぜ、書道かというと、単純に文字を描く、そこに心を込める、という作業が楽しくて気持ちいいのではないか、と思ったからです。
葛空さんの書を見て、また付随されている文章を読み、やはり自由なものなのだと思いました。
私には書の云々はわかりません。
ただ、書も絵画も歌も、受け取る者の感性に響くものは理屈なしに感動するものです。
葛空さんの既成の概念に囚われないやり方も素敵だと思います。
私は自由に生き、表現することの一つとして書に興味を持ったのです。
失礼な文面がありましたら申し訳ございません。
村上亜希と申します。
今、書道を習おうかと考えていました。
なぜ、書道かというと、単純に文字を描く、そこに心を込める、という作業が楽しくて気持ちいいのではないか、と思ったからです。
葛空さんの書を見て、また付随されている文章を読み、やはり自由なものなのだと思いました。
私には書の云々はわかりません。
ただ、書も絵画も歌も、受け取る者の感性に響くものは理屈なしに感動するものです。
葛空さんの既成の概念に囚われないやり方も素敵だと思います。
私は自由に生き、表現することの一つとして書に興味を持ったのです。
失礼な文面がありましたら申し訳ございません。
2. Posted by 葛空 2006年08月10日 23:26
始めまして。
こんばんは。
書というものに興味を持って頂き
とても嬉しいです。
ずいぶん乱暴な文章と作品で驚かれたと思います。
今書の世界では才能のある書家の出現を望んでいます。
たくさんの熱意ある人達が登場して
盛り上げなくてはなりません。
どうしても出てこないから
しょうがないので重い腰を上げて
私自身を何とかしてやろうと
奮闘しているところです。
ある意味本物が出てきやすい環境なのかも知れません。
あきさんもこの機会に作品で書道界の鼻を明かしてやって下さい。
こんばんは。
書というものに興味を持って頂き
とても嬉しいです。
ずいぶん乱暴な文章と作品で驚かれたと思います。
今書の世界では才能のある書家の出現を望んでいます。
たくさんの熱意ある人達が登場して
盛り上げなくてはなりません。
どうしても出てこないから
しょうがないので重い腰を上げて
私自身を何とかしてやろうと
奮闘しているところです。
ある意味本物が出てきやすい環境なのかも知れません。
あきさんもこの機会に作品で書道界の鼻を明かしてやって下さい。